|
「邦題決めるもひと苦労」 〜ハリー・ポッター英語版、第5巻へ〜
「ハリーの物語は必ず夏休みから始まる。そして、英語が読める人にとって、待ちに待った5回目のハリーの夏がやってくる。「ハリー・ポッターと炎のゴブレット」が英国で発売されてから3年目、第5巻の英語版は6月21日、英国時間で零時1分に発売解禁になる。英米の一握りの編集者しか、まだ原稿を読んでいない。40ヵ国を超える出版社も翻訳者も、だれも第5巻の内容を知らない。英国の書店でさえ、発売直前まで荷を解いてはならない。
そんな状況の中で、第5巻の日本語のタイトルを至急知らせよと、作者、J.K.ローリングの代理人からメールがきた。それはできない。内容を知らずには訳せない。西洋の言語なら、とりあえず一対一で対応する言葉をあてはめておけばよいが、日本語はそうはいかない。原題は「ハリー・ポッター・アンド・ジ・オーダー・オブ・ザ・フェニックス」。この「オーダー」が曲者だ。辞書には名詞だけで二十数個の訳語が載っている。4巻までの物語の筋から推測しても、まだ複数の候補が残る―勲章・勲位、教団・修道会、騎士団・結社などなど。いい加減な訳はつけたくない。現に、とりあえず無難な「不死鳥の勲章」という仮題をつけておいたら、それがもう広まっている。
当然、作者に聞きたい。第1巻のときは、それができた。ところがいまやローリングは雲上人だ。さらに、再婚して男の子を出産したばかりで、出産休暇中。代理人を通じて質問するしかない。作者と直接話せば簡単なことでも、第三者を通じるとなると、なぜ解らないのかを縷々説明する羽目になり複雑だ。単に「『オーダー』の意味は」と聞けば、「辞書をひけ」と言われるのが落ちだ。
代理人に会って、日本語ではオーダーに30もの訳語があると説明して質問した。その場に居合わせたアメリカ人が、驚いたように私の顔を見て言った。「日本語では、意味が違うと訳語も違うの?」目から鱗が落ちる思いだったらしい。代理人の解釈に従って、「不死鳥の騎士団」と仮題を付け直した。この訳が正しいかどうか、本を読むまでわからない。
思えば、第1巻からタイトルの訳には紆余曲折がある。「ハリー・ポッターの冒険」「魔法少年ハリー・ポッター」など、読者に解る題をつけたいという意見があった。原題に忠実にという社長(兼翻訳者)の一声で「賢者の石」に決まった。2巻の「秘密の部屋」と3巻の「アズカバンの囚人」はすんなり決まったが、第4巻の「炎のゴブレット」は「聖杯」「高杯(たかつき)」という訳にすべきだとか、ひとしきりもめた。
一見単純な本の題でも、試行錯誤がある。ましてや魔法界の森羅万象となると、無から有を産む苦しみだ。1巻の「火消しライター」「百味ビーンズ」「ほとんど首なしニック」「血みどろ男爵」「みぞの(望み)鏡」。2巻の「屋敷しもべ妖精」「庭(にわ)小人(こびと)」「絶命日パーティ」「暴れ柳」「煙突(フルー)飛行粉(パウダー)」「蛇(へび)舌(じた)」。3巻の「吸(ディ)魂(メン)鬼(ター)」「まね妖怪」「忍びの地図」「守護(パトロー)霊(ナス)」「かくれん防止器」「逆転時計」。4巻の「万(まん)眼鏡(がんきょう)」「セールス魔ン」「「闇払(やみばら)い」「鰓(えら)昆布(こんぶ)」「妖女シスターズ」「死喰(しく)い人(びと)」。
ロックハート先生の著書に頭韻を踏ませたり(「雪男とゆっくり一年」)、ラテン語の呪文を日本語の呪文にする工夫。「水中人(すいちゅうじん)」の歌やスフィンクスのなぞなぞを韻文で訳したり、英語の訛を日本語の訛に置き換えたり(ハグリッドはやや東北弁)。言葉遊びも隠れた意味も、可能な限り伝えたいと知恵を絞ってきた。
4年間の作業は、膨大な単語集になった。既刊の「ハリー・ポッター」に付いている「ふくろう通信」には、「翻訳者はつらいよ」の裏話が載っている。5年目の挑戦がもうすぐ始まる。「不死鳥の騎士団(?)」だ。翻訳は1年かかる。♪早く来い来い21日。(2003年6月「朝日新聞」掲載)
|