|
「手」
「目は口ほどにものを言い」というが、口より目のほうが真実を表すことが実に多いものだ。同じように、手が真実を語る例は多い。私の好きな芥川龍之介の短編、「手巾」には、息子の戦死を知らされても顔色一つ変えない母親が、テーブルの下でハンケチを握り締め、ワナワナと手を震わせる場面がある。
ハリー・ポッターにも、「もの言う手」が登場する。「夜の闇横丁」で、怪しげな魔法の道具を売る店の店主、ボージンがお追従に揉み手する動作などは、万国共通の手の言葉だが、翻訳者泣かせなのは、日本では使われない手の仕草だ。ハグリッドがときどき親指を上げて見せる動作は、「いいぞ」とか、「大丈夫」の意味で、このごろ日本でも普及しているが、ロンが嘘をつきながら手で小さく十字を切るのは、キリスト教的な許しを乞う仕草で、これを知る日本人は少ない。
何もしなくも、手には表情がある。石川啄木の「じっと手を見る」の歌でも、手は仕事や暮らしを象徴している。シャーロック・ホームズのお出ましを願うまでもなく、素人でも推理できる手もある。「白魚のような指」は深窓の麗人、「節くれだった手」は力仕事をする人や、老人だ。職業によっても手の感触は違う。ハリー・ポッターの登場人物はどんな手をしているのかと想像すると楽しい。薬草学のスプラウト先生は、いつも爪の間に土がついているし、「占い学」のトレローニー先生は、指輪をこってりつけた細長い指だ。ダンブルドアはすらりとした長い指だという。オペラ好きでもあるし、きっとピアノを弾くに違いない。マクゴナガル先生は、まちがいなく爪をきちんと切り、非の打ち所のないまじめな手をしているだろうし、スネイプは魔法薬の臭いが滲み込んだ、意外にしなやかな手かも知れない。
人を見るとき、手も見てみると面白い。意外な人が意外な手をしていたりする。私の手は、小さいときのピアノの練習のおかげか、結構指が長い。爪の形を褒めてくれた人がいる。ほかに褒めるところがないのか、と癪だったが、褒められて嬉しくないはずはない。以後爪の形には気を配っている。そういえば亡夫が私を美しいと思った(思い込んだ)のは、二十歳のころの私が、マニキュアとは無縁の清楚な手をしていたからだと告白されたことがある。
五回にわたった私の連載エッセイは、色、食、声、香、手と五感を表してみたつもりだが、最後はのろけで締めくくることになってしまった。失礼。
(「新文化【風信】」2003年3月6日号掲載)
|