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「香」
「お母さんはよい匂いがした」北朝鮮に拉致された横田めぐみさんが、そう語っていたという。望郷の思いが込められた言葉に涙を誘われた。
香りは記憶を呼び覚ます。満開の桜のほんのり甘い匂いは、私の愛犬、柴犬の華子が好きだった。路上に散った花びらに小さな黒い鼻を押し付けて、夢中で嗅ぎ回っていたものだ。コーヒーの香気は、亡くなった主人の思い出につながる。朝の目覚めに煎れたてのコーヒーがないと起きられない人だった。
香りは文化でもある。ある時、ある英国紳士が、「あなたが身に纏っていらっしゃるのは、ゲランの香水ですね」と見事言い当てた。三つの意味で感服した。一つは鼻のよさ、二つ目は身に纏うという英語の表現だ。ああ、香水とは身に纏うものなのかと、目から鱗が落ちる思いがした。最後の一つは女性に対する紳士のマナーだ。日本にも袂に香を焚き染めるという優雅な伝統があるし、香道というれっきとした香りの文化があるが、最近の日本の殿方は、淑女が「身に纏っている」香りに関心を払うことがあるだろうか。
フランス文化を代表するワインにも複雑な香りがある。私の知っているだけでも数十種類あって、素人にはとても嗅ぎ分けられない。ワイン・テイスティングで、グラスに鼻を突っ込んで香りを味わっている姿を見ると、西洋人のように鼻が高くないとあのような味わい方はできないだろうと、妙に感心してしまう。高さではなく、機能的な問題だとは重々承知しているのだが。
ハリー・ポッターに登場する香りは、ホグワーツ城いっぱいに漂ってくる、美味しそうな食べ物の匂いだ。一年中ご馳走ずくめの魔法魔術学校だが、その中でもクリスマスのご馳走は、匂いだけで涎が出そうだ。屋敷しもべ妖精が厨房で精魂込めて料理している。ハーマイオニーは第四巻の「炎のゴブレット」で、しもべ妖精解放戦線を組織して気を吐いたが、しもべ妖精にとってはありがた迷惑だったらしい。
鋭い嗅覚は、本来臭いのないものの臭いまで嗅ぎ出す。魔法薬の先生、スネイプはどうやら鼻が鋭い。効き目のある魔法薬を製造するには、当然微妙なさじ加減を嗅ぎ分ける鼻が必要だろう。その鼻は、ハリーが何かことを起そうとすると、必ずその気配を嗅ぎつけて、黒いマントを翻して現場に現れる。要するにスネイプは「鼻が利く」のだ。
2003年はどんな香りを運んでくるだろう。爽やかな香りであることを願いつつ、鼻を利かせて進もう。
(「新文化【風信】」2003年1月30日号掲載)
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