|
「食」
「宇宙食でいい」。忙しくなってくると、この言葉がつい口をついて出てくる。削れるものはまず睡眠時間、その次に食事の時間だ。もともと食事に凝る方ではなく、時間をかけて味わう趣味はない。早食いで有名だ。立ち食いも厭わない。なにかやりたいこと、やらなければならないことがあるときは、食べ物を口の中で噛むのも面倒になってくる。いっそ錠剤やチューブ入りの宇宙食でいいという気持ちになるのだ。しかし、宇宙食を試食したことはない。
食べ物が口にできるだけでも幸せなのだから、食べ物を残すなど言語道断、お百姓さんに申し訳ない。これが私の育った時代の考え方だ。甘いものといえば、銅(あかがね)の杓子にザラメを入れ、火にかけて溶かし、重曹を入れて膨らませるカラメルだった。三つ子の魂で、食べ物をありがたく思い、粗末にしてはならないという哲学は持ち合わせているが、この哲学と宇宙食は別に矛盾しない。忙しいときは時間をかけずに、必要最低限の食事を能率よく取りたいだけだ。
味音痴なわけでもない。むしろ、味にはうるさい。しかし、美味しいものを漁るというグルメではなく、まずいものは食べない方がましというこだわりかただ。宇宙食が美味しければ最高だが、まずければ食べたくはない。いやしくも食べることに時間を割くのであれば、美味しいものを食べたい。
ハリー・ポッターを読んでいて、突然、あることに気付いた。食べる楽しみは生きている者にのみ与えられた特権なのだ。ゴーストの「ほとんど首なしニック」が、宴会でみんなが美味しそうに食べるのを、いつも羨ましそうに見ているではないか。J.K.ローリングは、シングルマザーの貧乏時代に、美味しいものが食べたいという気持ちを物語で解消したのかもしれない。宴会の食べ物をこれでもかとばかり詳しく書き込んでいる。日本ではなじみのない食べ物が多いので、翻訳者としては悩むが、食いしん坊のロンの表情を見ていると(翻訳していると、ロンの顔が見えてくる!)美味しそうなことだけはわかる。ニックはかれこれ五百年ほど食べていないらしい。気の毒だ。
しかし、「ハリー・ポッターと炎のゴブレット」にでてくるハーマイオニーは、図書館で調べ物をするために、猛烈なスピードで食事をかっ込んで、あっという間に大広間から出てゆく。やっぱりそうか・・・・・・。思ったとおり、私はハーマイオニーなのだ。食事の時間より勉強の時間が欲しい。
(「新文化【風信】」2002年11月7日号掲載)
|