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「ある魔女の歴史」
序章 夢見る本の虫
福島県の片田舎で、私は教師の家の長女として生まれた。両親とも教師で、「共稼ぎ」だったため、私は鍵っ子で、親に言われたわけでもないのに、学校から帰ると家の中を掃除し、それから静かに本を読んで両親の帰りを待つ少女だった。
今にして思えば、夢中で本を読んだその時代が、半世紀を経てハリー・ポッターとの出会いを生んだにちがいない。田舎の家の本棚には、いまでもその頃読んだ本が残っている。小公女、小公子、若草物語、ジャングルブック、アンデルセン、グリム、小川未明などだ。
空想するのが好きだった。たいていはお姫様になったり、魔法使いになったりして、冒険したり、空を飛んだり、ありえない世界に遊んでいた。自分でお伽噺を書いたりもした。勿論テレビはなく、ただ、庭に四季折々の花が咲き、縁側には陽が注いでいた。
第一章 学に志す
中学のとき、3畳間を私の部屋にしてもらい、殆どそこで勉強していた。父親がいまだに言う。「お姉ちゃんは、いつも黙って勉強していた。目が悪くなるからそんなに勉強するなと言ったのに」
当然の結果として成績優秀。高校は地元ではなく、仙台の女子高に行きたいと、私自身が言い出した。仙台は東北一の都会だったし、母も叔母も女子師範学校の出身だったことが、私の女子高志望に繋がっていた。将来学問で身を立てるというほど具体的な計画はなかったが、もっと勉強したいと思ったことは確かだ。
憧れの女子高に入学し、迷うことなく学業に熱中した。親元を離れての下宿生活で、親戚の家に世話になったが、その当時の私を知る親戚は、勉強している姿以外に見たことがなかったと笑う。 英語好きは中学に始まり、高校でそれが昂じ、大学は国際基督教大学だった。しかし、結局英語に飽き足らず、在学中に専攻を近代日本政治思想史に変えた。恩師は天皇制の研究で知られる武田清子先生だ。
第二章 魔女になる
大学時代に知り合ったフランス哲学専攻の夫は、現役入学、4年で卒業の私とは対照的に、8年も留年した悩める青年だった。しかし、本当の勉強とはこういうものなのかと、私は目から鱗の思いでこの人を見ていた。専攻したパスカルの言葉さながらに、夫は「考える葦」だった。
そんな人と一緒に暮らすことを選択したおかげで、私の学究生活の計画は潰え、芸は身を助くで、英語力が役に立ち、財団法人「海外技術者研修協会」の常勤通訳としての就職が決まり、月給2万8千円の生活が始まった。7年間のサラリーマン生活だった。通訳としての力がついてきた頃、日本でもそろそろ同時通訳者という職業が成り立つ時代になっていた。私は協会を退職し、フリーランスの通訳になった。
爾来30年間、私は通訳で世界中を飛び回り、夫はやがて「静山社」という出版社を興した。収益を上げた本はない。辛うじて赤字を免れた本が数冊あったろうか。しかも、一冊の手記を出版したことから、神経難病である筋萎縮性側索硬化症(ALS)と出会い、こんな悲惨な状態を放ってはおけないと、「日本ALS協会」を立ち上げてしまった夫は、自宅を出版社兼協会事務所にして、無給の事務局長になった。それから14年後、夫は58歳で他界した。
そんな夫の遺志を受け、静山社を継いだのが平成10年のことだった。そして、「物語はここから始まる(「ハリー・ポッターと賢者の石」p.7)」。ロンドンでハリー・ポッターの物語に出会ってからのことは、シリーズのあとがきに譲るが、嬉しいことに、私はどうやら、昔から憧れていた魔法使いになったらしい。
終章 未来
夫が亡くなってからの不思議な展開は、私を運命論者にした。ただし、運命を受け入れるという意味ではない。すべてのことには時があり、一見何の脈絡もないように見える出来事も、ジグソーパズルのように、いつかぴたりと当てはまるものだと思うようになったのだ。夢見る本の虫は、今、夢見る出版人になった。そしてもしかすると、これは次に私を待ち受けている運命の序章かもしれない。
(「東京小石川ロータリークラブ週報」2004年1月16日号掲載より)
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