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「欧州礼讃」
ジュネーブの空港に降り立つとホッとする。緑の匂いがするのである。空港がこじんまりして、混んでいない。人間が息をする空間がある。
町の中心に湖があり、北にジュラ山脈、南にサレーブの山々、晴れた日にはその彼方にモンブランの頂が見える。スイス人は朝が早い。8時には仕事を始め、夜は町中がひっそりと静まり返る。この小さな町に国際機関がひしめき、多彩な人間が暮らしている。田舎でもあり、都会でもあるところが、この小都市の魅力である。
国際労働機構(ILO)の通訳として初めてジュネーブに滞在したのは、1981年の6月のこと。空気の清々しさに驚いた。ホテルから会議場のパレ・デ・ナシオンまで、緑滴る木陰を歩いて20分。東京で、ラッシュアワーと交通渋滞に神経をすり減らしていた私には、体中が深呼吸するようなジュネーブの環境は新鮮だった。
20年経っても、その環境は変わらない。一方、最初からILO総会の通訳を勤めているのは、私を含めて二人だけになった。世代交代もあるし、大学教授に転じた人も多い。私も、ハリー・ポッターの翻訳・出版で多忙な身となったが、ILOの通訳は続けている。これだけ長続きしたのは、私にとってやりがいのある仕事だからであるが、ジュネーブという環境に魅せられているからでもある。
ジュネーブに限らず、ヨーロッパの都市にはどっしりとした存在感がある。なぜなのだろう。どの都市にも、空があり、水があり、緑がある。建物に調和がある。しかも、歴史がしっかりと刻み込まれている。自然と歴史と人の暮らしが、心地よく調和しているのである。ロンドンの石畳の街を歩くとき、ミュンヘンのイザール川の岸辺を自転車で走るとき、ジュネーブのレマン湖で子連れの白鳥を眺めるとき、都市とはどうあるべきかを考えさせられる。
ハリー・ポッターの物語を翻訳しながら、ダイアゴン横丁にロンドンのレンガ造りの街並みを思い、ホグワーツ城の湖に夕暮れ時のレマン湖を思い浮かべる。中世にタイムスリップしたかのような魔法使いの世界も、実は今現在のヨーロッパとそうかけ離れてはいない。私がハリー・ポッターの世界に惹かれるのは、時の流れが止まったような、どこか懐かしいヨーロッパが、物語の中に静かに息づいているからなのである。
- (日本経団連 機関誌 「経済Trend」 2002年11月号掲載) -
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