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「相馬恋しや」
七十七ページの慎ましい本がある。「相馬恋しやなつかしや」という題のこのささやかな本は、平成二年四月に発行された非売品で、著者は相馬出身の清水百子、今年八十二歳になる私の母である。そしてこの本を編集し、本にしたのは、今は亡き私の夫である。
母は常に優等生だった娘が自慢で、結婚相手は相馬地方の名士と勝手に決め込んでいた。それなのに、娘は、さっぱり儲からない出版社を続け、果ては日本ALS協会とかいうものを設立し、無給で事務局長を勤めるような人と一緒になってしまった。どうにも腑に落ちない。田舎から上京するたびに、ALS協会(当時自宅が協会事務局だった)に来ていたボランティアの人たちに、「佑子はなんであんな人と・・・・・・」とさかんにこぼしていたらしい。
そのくせ、母は夫と馬が合い、私よりも話があうようだった。夫も、通訳で世界を飛び回っていた私の代わりに、母を度々温泉に連れ出した。そんなわけで、母が自伝を出したいと言い出したときも、夫は二つ返事で引き受けた。母は大正ロマンの風を受け、瑞々しい文章を書く人で、出来上がった小冊子は親戚中を唸らせた。自分の生い立ち、子供や孫への思い、愛犬タロの思い出。どれをとってもほろりとさせられる名文だ。あちこちに挿入された三十一文字(みそひともじ)も、日本語の美しさを遺憾なく発揮して見事だ。私のことを読んだ和歌の一つはこうだ。
あいらしくほこらかなりしおとめごの
生活にせわし姿かなしも
母の目には、私の姿が、稼がぬ夫のために身をすり減らして働いているように見えたのだろう。
夫の訃報に駆けつけた母は、泣きはらした目で、色紙にしたためた句を私に差し出した。
紅き実に 残心秘めて 逝きし人
夫がこの世に残す思いを一番強く感じ取っていたのは、母だったかもしれない。
私の宝は、夫の手に成る母の自伝である。
- (文化通信2003年1月「私の宝物」寄稿文の原文) -
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