トップ 》 松岡 佑子のティールーム
▼第一回 魔女の躾

▼第二回 ある魔女の歴史

▼第三回 

▼第四回 

▼第五回 

▼第六回 

▼第七回 

▼第八回 邦題決めるも
ひと苦労

▼第九回 魔法の力を手に

▼第十回 相馬恋しや

▼第十一回 欧州礼讃





ハリーポッターと出会わせてくれたダンとアリソン夫妻。ダンはハリーポッター日本版の表紙のイラストの画家でもある。





アリソンと私。彼ら夫妻は私の長年の友人だ。

「魔女の躾」

ダンとアリソン夫妻に「ハリー・ポッターと賢者の石」を紹介されたのがきっかけで、このシリーズの翻訳が私のライフワークになるのだが、同時に、イギリスの家庭での躾ぶりを身近に見ることになった。九歳と六歳の二人のかわいい男の子は、私から見ると十分に良い子たちなのに、夫妻の躾の厳しさにはいつも驚かされる。

食事のとき椅子にきちんと腰掛けないと、たちまち「食事の間はモゾモゾ動かないで!」と激しい声が飛んでくる。子供がメソメソしようが、言い訳しようが、許さない。驚くほどの厳しい口調で叱りつけ、しかも大人に対すると同じようにきちんと理由を説明する。傍で見ている私のほうがオロオロすると、「大人になってから恥ずかしい思いをしないよう、小さいときに、守らなければならない社会のルールだけはしっかり教えておくのが親の務めです」とキッパリ。

ハリー・ポッター・シリーズが児童書として世界中で4000万部(※)も売れ、日本でも200万部も売れたとなると、その翻訳者兼出版社として、やはり子供の教育に目が行く。特に日本の社会では、子供と接する時間の長い母親の役割が大きいと思う。そこで、ハリー・ポッターの物語に登場する何人かの母親の中から、第二巻までに登場する三人を紹介し、その躾ぶりを見てみたい。

一人はハリーの亡くなった母親リリー。当然魔女だ。二人目はハリーの従兄ダドリーの母親ペチュニアで、リリーの妹だがマグル(普通の人間)だ。三人目はハリーの親友ロンの母親で、七人の子持ち、魔女のモリー。三人とも物語の中の人物だが、子供に対する愛情や躾のしかたが作者のJ.K.ローリングの考え方を反映していて興味深い。

リリーは物語の最初に死んでしまうので、その人物像(魔女像?)は明らかではないが、ハリーに対する深い愛情が描かれている。生まれたばかりのハリーが邪悪な魔法の呪いで殺されそうになったとき、ハリーを守って自らの命を失う。どんなにハリーに心を残して死んだことだろう。名校長ダンブルドアがハリーにこう言う。「それほどまでに深く愛を注いだということが、たとえ愛したその人がいなくなっても、永久に愛されたものを守る力になる」。作者のJ.K.ローリングは二十五歳のときに母親を失う。その悲しみがハリーの悲しみと重なり、切々と物語に書きこまれている。ここには無償の愛で子供のために命を投げ出す母親像があり、その心を支えにハリーは邪悪な力に立ち向かう。

リリーの妹、ペチュニアは魔法など「まともではない」ものは頭から信じない。常識にどっぷりつかって生きることを誇りにしている。息子のダドリーを溺愛し、わがままいっぱいに育てた結果、ダドリーはブクブク太り、気に入らないことがあるとわめきたて、結局なんでも思いどおりにしてしまう、にくたらしい子供だ。しかし、J.K.ローリングは、ダドリーが悪いのではなく、むしろ母親の育て方が問題だという。アリソンの厳しい躾ぶりを見るにつけ、イギリス人が躾を非常に大切なものと考えているのがわかる。

モリー母さんは小柄で小太り。しっかり家庭をまもる主婦で、貧乏だが温かい家庭を築いている。七人の子がいるが、そのうち二人が学校で最優秀生に選ばれたことが嬉しくてしようがない。一方悪戯な双子に手を焼き、ものすごい剣幕で叱りつけ、厳しくおしおきするが、じつはどの子も同じようにかわいくて、子供たちが危険な目にあうと身も細る思いで心配する。そして親のないハリーをわが子のようにかわいがる。その懐に抱きしめられるとき、ハリーは「母親ってこんなものなのだろうか」と心が安らぐ。この厳しさとやさしさが、作者の理想とする母親像なのだろう。

ハリーの世界の楽しさの一つは魅力的な登場人物だ。ハリーには親がいない。しかし、それにかわる先生や友人がハリーを育てていく。魔女たちの躾でこれからハリーはどんな青年に成長していくのだろう。七巻が完結する2003年まで楽しみだ。
(「潮」2001年1月号掲載)

※ 2002年7月現在、世界で1億6千万部、日本1,100万部



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