作品について

こうして物語は生まれた

作者J.K.ローリングは、所用で出かけていたマンチェスターからロンドンに戻る列車の中で「ハリーの物語」を思いつきました。神の啓示を受けたようにひらめいた物語は、ロンドンのキングズ・クロス駅に着くまでにはすでに頭の中で形になっていたと言います。その後最愛の母親を失い、英語教師としてポルトガルにわたって結婚。長女(ジェシカ)が生まれた直後に離婚して、(妹のいる)エジンバラにもどってきます。カバン一杯のハリーの原稿を持って。乳飲み子を抱えたシングルマザーのローリングは、生活保護を受けながら、エジンバラの〝ニコルソンズ・カフェ〟でコーヒー1杯だけを頼み、寝入っている子供を横に何時間もねばって書き上げたのが第1巻の『ハリー・ポッターと賢者の石』だったことは、有名な話になりました。

そんな彼女の魔法の世界を描いたファンタジー処女作が、出版されるや大ベストセラーとなり、イギリスだけにとどまらずアメリカや日本をはじめ、世界中(78言語)で翻訳されたシリーズ累計部数は、全世界で4億5000万部以上と言われる空前のヒットを飛ばしたのです。

2001年には映画にもなり、魔法の杖がつむぎ出す魅力あふれる物語は、映画でも10年目を迎えた年に完結編が放映される運びとなりました。

ハリーの成長とともに描かれる良質なファンタジーは、これからも長く語り継がれるものとなるでしょう。

著者

J.K.ローリング

J.K.ローリングJoanne Kathleen Rowling

乳飲み子を抱えたシングルマザーの伝説から11年。生活保護を受けながら書いた「ハリー・ポッターと賢者の石」は、シリーズ全7巻が2007年7月に完了し、世界で4億5000万部の超ベストセラーとなった。J.K.ローリングは、世界の上位1000人に入る富と、世界で最も影響力のある100人に選ばれる名声と、三人の子供に恵まれた新しい家庭という幸せを手に入れた。第7巻は夫、三人の子供、妹、母親と読者にささげられている。作品は数々の賞に輝き、2000年、英国女王からO.B.E勲章の称号を授与された。

 

訳者

松岡 佑子

松岡 佑子

同時通訳者、翻訳家。国際基督教大学(ICU)卒、モントレー国際大学院大学(MIIS)国際政治学修士。AIIC(国際会議通訳者協会)会員。スイス在住。 ICU卒業後、海外技術者研修協会常勤通訳。上智大学講師、MIIS客員教授として通訳教育の経験も深い。国際労働機関(ILO)では1981年以来年次総会の通訳。 ハリー・ポッターの翻訳者として講演も多く、エッセイストとしても活躍中。日本ペンクラブ会員。ハリー・ポッターシリーズに続く翻訳にジュリア・ゴールディング著『サイレンの秘密』(静山社)がある。 亡夫の意志を継ぎ、日本ALS協会を支援して、2006年AlS国際会議を横浜で開催した。

*ALS(筋委縮性索側硬化症)

 

表紙イラスト画家

ダン・シュレシンジャー

ダン・シュレシンジャーDan Schlesinger

英国ロンドン在住のアメリカ人画家。
静山社のハリー・ポッターシリーズのカバーの絵と各章の扉絵を描いている。
ハーバード・ロースクールを卒業後、弁護士として活躍、マラソンはニューヨークマラソン2位でオリンピック選手候補になったなど多芸多才。パートナーのアリソン・ウェザーフィールド(弁護士)とはハーバード・ロースクールで知り合った。また、松岡と20年来の友人であり、ハリー・ポッターシリーズを松岡に薦めたのはこのダンである。 彼の描くカバーのパステル画に惹かれて、「ハリー・ポッター」を購入したというファンも数多くいる。