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第18回 記憶の糸 その6 「音の記憶」 (2012年01月13日)

 子供のころ過ごした福島県の田舎町は、静かだった。真っ暗で何の物音もしない夜、雪の降積もる音が聞こえる朝、炭火の爆ぜる音だけが響く炉端......。私の思い浮かべる音の記憶は、町から東京まで蒸気列車で8時間もかかった時代の、遠い昔の古ぼけた写真のような懐かしい記憶であり、現在の都会のように人工的な音の氾濫していない時代の記憶だ。
 テレビもない時代、私の楽しみといえば、学校から帰って一人で本を読むことだった。両親とも教師をしていたので、家に帰っても誰もいなかったが、シーンとした家で本に没頭する時間は至福の時だった。小学生の頃には、テレビはおろか家にラジオもなく、好きな「連続ラジオドラマ」を聞くために、祖母の家まで30分も歩いて通ったものだった。静かな田舎暮らしのなかで、物語はいつも私を想像の世界に誘い、遠くへ連れて行ってくれた。
 物語を本で読むのもラジオで聞くのも好きだったが、父が寝しなに聞かせてくれた昔話はことさら懐かしい。即興のでたらめな創作であることが多かったが、その一つに、「キッカタガタガタボンボコボン」という得体のしれないお化けが登場する。ただ音をたてて人を驚かすだけの罪のないお化けで、嵐の夜に暗い廊下に現れるものと決まっていた。ハリー・ポッターの物語にでてくる「屋根裏お化け」を彷彿とさせる。
 年老いてからの父は、耳が遠くなったせいもあり、大声で自分に言い聞かせるかのように、幼い頃の思い出を話してくれた。7歳の時に母親が亡くなり、真っ暗な夜に、大きな提灯を両手で持って、近所の親戚にとぼとぼと母親の死を触れて歩いたという思い出話は、ツンツルテンの着物に草履ばきの、丸刈りの男の子の姿が目に浮かび、まるでほかの世界のお伽噺のようだった。正調福島弁とでも言うべき典型的なズーズー弁の父の話は、他の人が聞いたら通訳を要するほど難解だったに違いないが、そんな父の口ぶりに違和感をもたなかったところをみると、私もかなりまっとうに福島弁を解すらしい。
 ハリーの物語に登場する、愛すべき森の番人ハグリッドの言葉の訳にズーズー弁口調を取り入れたのは、それが私にとっていちばん身近であたたかく感じられる音だったからだ。小さい時になにげなく聞いた音は、いつまでも記憶に残るものらしい。
 父が96歳で亡くなって、はや4年になる。静かだった東北の風景もズーズー弁も、足早に消えつつある。

『月刊福祉』2010年12月号(社会福祉法人全国社会福祉協議会発行)
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